1990年、西日本サーキットで行われた全日本ツーリングカー選手権(JTC)の初戦。そこで私の目に焼き付いたのは、R32スカイラインGT-Rの丸いテールランプとその驚異的な走りでした。BMW M3に乗って参戦していた私にとって、その日のR32 GT-Rは、まるで他次元から来た車のように思えました。青いCALSONICカラーの車体と、白いREEBOKカラーのもう一台。これがGT-R伝説の始まりを告げるものであることを、その瞬間はまだ誰も知らなかったのです。
R32スカイラインGT-Rが登場したのは、1989年8月のことでした。16年の歳月を経て復活したこのモデルは、日産の技術の集大成と呼ぶにふさわしい一台であり、特に4WDシステム「アテーサ E-TS」の搭載は、当時のスポーツカー界に革命をもたらしました。
私がその日見たR32 GT-Rは、全くの別次元にありました。BMW M3でサーキットに立った自分が、彼らの後ろ姿を見ることになるとは予想もしなかった。R32 GT-Rは、その初戦から圧倒的なスピードでサーキットを駆け抜け、レース界に“GT-R旋風”を巻き起こし始めたのです。
R32 GT-Rの一番の特徴は、もちろんその高度な4WDシステム「アテーサ E-TS」です。このシステムは、路面状況に応じて瞬時にトルクを前後に振り分けることで、かつてない安定性とトラクションを実現しました。そして、その心臓部とも言えるエンジン「RB26DETT」。2.6リッターの直列6気筒ターボエンジンは、当時の国際自動車連盟(FIA)のグループAレギュレーションに基づいて設計され、最高出力280ps、最大トルク392Nmを誇りました。
そのパワーはまさに規格外。GT-Rは、サーキットで一切の妥協を許さない、完璧なマシンとしてデビューしたのです。私は、その力強い加速と、コーナリング中の圧倒的なグリップ力にただただ圧倒されるばかりでした。
R32 GT-Rのボディサイズは、当時としてはやや大きく、車両重量も約1.
5トンと重量級でした。しかし、アテーサ E-TSが発揮する驚異的な安定性により、その重量をまったく感じさせない軽快な走りを見せてくれました。サーキットでのコーナリングは特に印象的で、従来のFR(後輪駆動)車とは異なる、4WD特有の接地力を存分に活かしたスタイルは、まさに新時代のスポーツカーの姿でした。
私がステアリングを握り、コーナーに差し掛かるたびに、R32 GT-Rの姿が目に焼き付きました。リアをアクセルワークでコントロールするのではなく、4輪全てが地面にしっかりと食いつく感覚。その驚異的なコーナリングスピードに、私はR32 GT-Rの持つ新しい次元の走りを実感しました。
1990年の全日本ツーリングカー選手権で、R32 GT-Rはデビュー戦からその無敵ぶりを見せつけました。その後、1993年にグループAが終了するまで、R32 GT-Rは無敗の記録を打ち立てました。その伝説はやがてR33、R34へと引き継がれ、GT-Rの名声は日本国内だけでなく、世界中のサーキットで轟くこととなったのです。
私にとって、1990年の西日本サーキットで見たR32 GT-Rは、単なる車ではありませんでした。
それは「技術の結晶」であり、「日本が世界に誇るスポーツカーの象徴」でした。丸いテールランプが遠ざかる瞬間、その鮮烈な走りは今でも瞼に焼き付いています。
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