旅行から戻り、溜まった洗濯物を片付けようとランドリールームへ向かった。ドアを開けると、洗濯機と乾燥機の料金が1ドルも値上がりしており、なんと1回の使用が2ドル50セントになっていた。毎回、私は洗濯物を白物と色物に分け、それぞれの洗濯機と乾燥機を使うので、これまでの倍近い料金になってしまう。風呂の足ふきマットは別に洗わなければならず、2回も洗えば新しいマットを買えてしまうほどの料金になることも。10ドルもかけて洗濯をする時代になったとは、まったくやりきれない。
昔の洗濯は、手間はかかってもお金がかかることはなかった。母が幼い頃、つまり私が生まれるずっと前の話だが、彼女は大きなタライと固形の亀の子石鹸を使い、洗濯板でゴシゴシと洗濯をしていたという。亀の子石鹸は、着色もされず自然な薄茶色で、表面には亀甲模様が刻まれていた。その石鹸を使い、家族全員の衣類を一つ一つ丁寧に手洗いしていた母の姿が目に浮かぶようだ。
母がまだ小学校に上がる前、幼い手で洗濯板を持ち、汚れた衣服をしっかりと押し付けるようにして洗う様子を聞いたことがある。あの頃の下着や服は綿製品が多く、手でしっかりと洗うことができたが、乾いた後にはアイロンがけが欠かせなかったという。
アイロンも今のように軽くて扱いやすいものではなく、重たい金属の塊で、その重さと熱でシワを伸ばす必要があった。
時代が進むにつれ、家庭用の電動洗濯機が登場した。しかし、当初はまだ脱水機能が付いておらず、脱水は手動のローラーで行わなければならなかった。洗濯物をローラーに挟み、力を入れてハンドルを回す。ローラーに巻き込まれそうになりながら、腕を震わせて脱水をする。母は小さな体でその作業をこなしていた。冷蔵庫、テレビ、洗濯機が「三種の神器」と呼ばれた昭和の時代、家事はまだまだ大変な重労働だった。
その後、全自動洗濯機が一般家庭にも普及し始めた。ボタンを押すだけで、洗濯から脱水まで全てをこなしてくれる魔法の機械。母はその便利さに感動しながらも、少し寂しそうな表情を見せた。手で洗い、絞り、干すことで実感していた家族の絆や日々の営みが、機械に置き換えられていくことへの複雑な思いがあったのかもしれない。
私が物心ついた頃には、家にはすでに全自動洗濯機があり、手洗いの光景を見ることはほとんどなかった。
しかし、母は時折、大切な衣類や思い出の詰まった古い布を取り出しては、タライに水を溜めて手洗いをしていた。その様子を見ながら、私は彼女に昔の洗濯のことを尋ねた。すると母は笑顔で、幼い頃に家族総出で行った洗濯の思い出話を語り始めた。
「家族みんなで洗濯をするのが、ちょっとしたイベントみたいだったのよ。水を張ったタライの前に並んで、お父さんが汚れのひどいものをゴシゴシやるの。私はお手伝いで、洗ったものをお母さんに渡したり、泡がいっぱいのタライで遊んだりしてね。終わったら、みんなで手がふやけるまで笑いながら、洗濯物を絞ったり干したりしていたの。」
その頃の生活は、今の便利な生活とは比べ物にならないほど手間がかかるものだったかもしれない。しかし、母の話を聞いていると、不思議と温かい気持ちになった。家族が一緒に力を合わせて家事をこなすことで、家族の絆が深まっていたのだろう。現代のように機械に任せるのではなく、人の手で一つ一つの作業を行うことで、日々の生活に感謝し、その時間を大切にしていたのだ。
ランドリールームの値上げに愚痴をこぼしながらも、私は母がかつて使っていた「亀の子石鹸」やタライのことを思い出し、懐かしい気持ちになった。インターネットでその石鹸や洗濯板の写真を探してみたが、今ではそれらは博物館の展示資料となっているようだった。いつの間にか、私の知っている「昔の生活」は、すっかり遠い過去のものになってしまったようだ。
亀の子石鹸の写真も見つからず、代わりにイラストを描いてみることにした。角ばった、無骨な形の石鹸。決しておしゃれとは言えないその石鹸が、今ではなぜかとても懐かしく思える。機械に頼ることなく、家族の力で生活を支えていた時代。そんな母の思い出を聞きながら、私もまた、生活の豊かさとは何かを考えるようになった。
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